ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時

Als Luise die Briefe ihres ungetreuen Liebhabers verbrannte KV520

作曲 Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)
作詞 Gabiriele von Baumberg(1766-1839)
1787年5月26日ウィーンにて作曲
<歌詞訳>
熱い幻想から生み出されて
熱狂的な時に
この世にもたらされたおまえたち!
底へ行ってしまいなさい!
おまえたち、憂鬱の子供たちよ!
おまえたちの存在は炎のおかげなのだから
私はおまえたちを今再び炎に返します。
そして全ての熱狂的な歌も。
なぜならああ!彼は私の為だけに歌ったのではなかったのよ。
今燃えているお前たち、そしてまもなく、
愛するお前たち、もうここから跡形もなくなるだろう!
しかしああ!その男、お前たちを書いた男は、
きっとまだ長い間燃え続けるだろう、私の中で。
詩は女流詩人バウムベルグ自身の失恋の痛手を書いたと思われる。モーツァルトの親しい友人ジャカンがモーツァルトを自室に閉じ込めて作曲させたらしい(名曲解説ライブラリーより)。
感情の起伏が激しい失恋女性の心境が約1分半の短い曲の中にアリア的に明確に織り込まれている。歌詞は3節に分かれていてそれぞれ韻が踏まれている。また、歌詞には「私=ルイーゼ」の心の炎、「失恋相手」の心の炎、そして手紙を燃やす為の現実的な炎の3種類が登場していると思われる。それらは音型と、明確なフォルテとピアノの2種類の強弱記号で表現されている。歌のパートには強弱は書かれていないが、音型を見る限り伴奏(ここでは強弱記号の「ピアノ」と楽器の「ピアノ」を区別しにくい為伴奏と表記するが、この曲のピアノ部分は単なる「伴奏」とだけでは言い切れない)がフォルテを弾くと歌もフォルテに引き出され、歌がピアノになると伴奏もピアノに引き出される、掛け合いの形になっている。主にルイーゼ自身から生み出された炎が現れる時と、ルイーゼが現実を噛み締めた時にピアノになるようだ。しか現実を噛み締めてし気持ちが消沈した後もルイーゼは女性特有の失恋に立ち向かう力を持ち、男を恨む、手紙の文字を恨む、手紙を焼く、といった現実的な行動に移す。高まるヒステリックな心臓の音と息使いを持って手紙を焼くが、しかしああ、焼ききった後ルイーゼの心の中に残るのは、細いが長く、とぎれることのない未練。そしてそのことをもう一度、彼が私の中に残る大事な存在であったことに苦しいながらも気付き実感し、曲は終わる。
曲を揺らしたり歌声をネットリさせたりして表情をつけるのではなく、モーツァルトだからこそインテンポの中で強弱を明確にすることで自然とルイーゼの表情が浮き上がってくる曲。16分音符を厳しく、タイミングに乗り遅れないこと。そして歌の出番が無いときも伴奏を一緒に歌うと自然に伴奏に乗って歌うことが出来ることを発見。ヒステリックに熱くでは無く、落ち着いて、着々と歌うことで逆に女性の怒りと切なさ混ざった複雑な心境が見えてくるように思える。
Elisabeth Schwarzkopf、Barbara Bonney、Mitsuko Shirai、Anne Sofie von Otter、Juliane Banseといった5人のベテランの歌うこの曲を聴きました。大体インテンポですが最後の最後にテンポを落としてる場合もあり。Otterはインテンポでかっちり歌っているかわりに2つ音符を動かしてルイーゼの心をなお熱く表現(伴奏はピアノフォルテ)。Banseがお気に入り。ソプラノが歌うこの曲はどんな感じだろうと思ったらBonneyの淡々とした細い真っ直ぐな声が見事に未練と重なってとても切なくなった。SchwarzkopfとShiraiは貫禄の女性。
あのね、これ、明日試験で歌うんです…あああああああああああああああ